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吹き出し説明(1904)
塩水港精糖は、1904(明治37)年2月、台湾南部の鹽水港庁岸内庄(ちょうがんないしょう)に「塩水港製糖会社」として創立されました。その当時台湾は日本の統治下にあり、経済発展の礎を築くべくさまざまな政策が打ち出されている時代でした。
吹き出し説明(1946)
戦後、日本の食糧確保に貢献された、大洋漁業の社長中部謙吉氏が事業多角化の一環として、塩水港精糖との資本提携と砂糖事業の強化を実施したことが、当社120 年の歴史を新たに創り出しました。
吹き出し説明(1990)
1989(平成元)年に糖質研究所を設立し「乳糖果糖オリゴ糖」の生産を開始、 1994(平成6)年11月に「オリゴのおかげ」の全国発売を開始しました。翌1995(平成7)年10月には「乳糖果糖オリゴ糖」について特定保健用表示許可(トクホ)を取得しました。
ロゴ(SP)
120年の足跡
1904
(明治37)年

1946
(昭和21)年

1990
(平成2)年
1950(昭和25)年

7月
塩水港倉庫株式会社設立。資本金750 万円。山形章が社長に就任

8月
臨時株主総会にて商号変更決議。新商号「塩水港精糖株式会社」

1951 (昭和26)年
1月
製糖事業を復活。大阪工場火入れ式。1月5日より操業開始
2020 (令和2)年
11月
ビーツをドリンクにした新商品「奇跡の野菜といわれるビーツをドリンクにしました」を発売
ビーツ
2023 (令和5)年

6月
木村成克が社長に就任

7月
大東製糖株式会社と業務提携

2024 (令和6)年
2月
創業120周年
塩水港精糖120周年ダイジェスト
1901 (明治34)年
9月
新渡戸稲造が「糖業改良意見書」を、第4代台湾総督児玉源太郎および同民政長官後藤新平に提出し、これが日本の資本による台湾製糖業進出への布石となる
後藤新平
後藤新平
1904 (明治37)年
2月
塩水港製糖会社「岸内」に設立。塩水港製糖の創業
台湾糖業試験所
台湾糖業試験所
1907 (明治40)年

3月
塩水港製糖株式会社設立。資本金500万円。旧会社の事業を継承

3月
荒井泰治が社長に就任

4月
東京株式取引所に上場

荒井泰治
荒井泰治
建設中の新営第二工場
建設中の新営第二工場
1917 (大正6)年
7月
槇哲が社長に就任
槙哲
1938 (昭和13)年
資本金6,000万円、台湾内に7カ所、日本国内に2カ所の工場を擁する一大製糖会社へと発展
戦時下
1946 (昭和21)年
3月
台湾など外地に所有する資産のすべてが台湾政府に接収され「在外会社」の指定を受ける
塩水港精糖大阪工場
塩水港精糖大阪工場
1961 (昭和36)年
10月
東京証券取引所市場第2部に上場
中部謙吉氏
中部謙吉氏
1964 (昭和39)年
8月
大洋漁業株式会社(現マルハニチロ株式会社)と資本提携。「パールエース」ブランドの誕生
パールA
1990 (平成2)年

6月
久野修慈が社長に就任以降、政府に働きかけ、砂糖業界の改革推進を実施

11月
乳糖果糖オリゴ糖の生産開始

発表会A 発表会B 発表会C
1994 (平成6)年
11月
乳糖果糖オリゴ糖の新製品「オリゴのおかげ」シリーズ製品、発売開始
オリゴのおかげ
1901 (明治34)年
9月
新渡戸稲造が「糖業改良意見書」を、第4代台湾総督児玉源太郎および同民政長官後藤新平に提出し、これが日本の資本による台湾製糖業進出への布石となる
後藤新平
後藤新平


1907 (明治40)年
3月
塩水港製糖株式会社設立。資本金500万円。旧会社の事業を継承

3月
荒井泰治が社長に就任

4月
東京株式取引所に上場
建設中の新営第二工場
建設中の新営第二工場


1938 (昭和13)年
資本金6,000万円、台湾内に7カ所、日本国内に2カ所の工場を擁する一大製糖会社へと発展
戦時下

1950 (昭和25)年
7月
塩水港倉庫株式会社設立。資本金750 万円。山形章が社長に就任

8月
臨時株主総会にて商号変更決議。新商号「塩水港精糖株式会社」


1951 (昭和26)年
1月
製糖事業を復活。大阪工場火入れ式。1月5日より操業開始


1964 (昭和39)年
8月
大洋漁業株式会社(現マルハニチロ株式会社)と資本提携。「パールエース」ブランドの誕生
パールA

1990 (平成2)年
6月
久野修慈が社長に就任以降、政府に働きかけ、砂糖業界の改革推進を実施

11月
乳糖果糖オリゴ糖の生産開始

発表会A 発表会B 発表会C


2023 (令和5)年
6月
木村成克が社長に就任

7月
大東製糖株式会社と業務提携


2024 (令和6)年
2月
創業120周年

塩水港精糖120周年ダイジェスト
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1904
(明治37)年
吹き出し説明(1904)
塩水港精糖は、1904(明治37)年2月、台湾南部の鹽水港庁岸内庄(ちょうがんないしょう)に「塩水港製糖会社」として創立されました。その当時台湾は日本の統治下にあり、経済発展の礎を築くべくさまざまな政策が打ち出されている時代でした。
1946
(昭和21)年
吹き出し説明(1946)
戦後、日本の食糧確保に貢献された、大洋漁業の社長中部謙吉氏が事業多角化の一環として、塩水港精糖との資本提携と砂糖事業の強化を実施したことが、当社120年の歴史を新たに創り出しました。
1990
(平成2)年
吹き出し説明(1990)
1989(平成元)年に糖質研究所を設立し「乳糖果糖オリゴ糖」の生産を開始、1994(平成6)年11月に「オリゴのおかげ」の全国発売を開始しました。翌1995(平成7)年10月には「乳糖果糖オリゴ糖」について特定保健用表示許可(トクホ)を取得しました。

解説

解説

解説

解説

解説

解説

解説

解説

1904 (明治37)年
2月
塩水港製糖会社「岸内」に設立。塩水港製糖の創業
台湾糖業試験所
台湾糖業試験所
荒井泰治
荒井泰治
1917 (大正6)年
7月
槇哲が社長に就任
槙哲
槙哲
1946 (昭和21)年
3月
台湾など外地に所有する資産のすべてが台湾政府に接収され「在外会社」の指定を受ける
塩水港精糖大阪工場
塩水港精糖大阪工場
1961 (昭和36)年
10月
東京証券取引所市場第2部に上場
中部謙吉氏
中部謙吉氏
1994 (平成6)年
11月
乳糖果糖オリゴ糖の新製品「オリゴのおかげ」シリーズ製品、発売開始
オリゴのおかげ
2020 (令和2)年
11月
ビーツをドリンクにした新商品「奇跡の野菜といわれるビーツをドリンクにしました」を発売
ビーツ
塩水港精糖120周年フルバージョン
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